ネタバレあり!映画『怪物』のあらすじ・感想、怪物は誰か

テレビ・映画

参考:©映画「怪物」公式サイト

坂元裕二脚本のドラマが好きで、早速、映画『怪物』を観に行ってきました。(是枝監督の映画にはやや疎い私です・・・)
誰と観にいくのがよいか分からなかったため、一人で映画館へ。映画好きが好きそうな映画?だからでしょうか、土曜の夜にも関わらず、おひとりさまが多かった印象です。

この映画を観た直後、私はうまく言葉にできない状態だったので、誰かと一緒に観て直後に感想を共有するというよりは、一人でみた後に、じっくりゆっくり考えてから、誰かと感想を共有したいと思いました。なので、一人で映画館に行ったのは、正解だったと思います。

そして、1日ゆっくり考えた感想をここに綴りたいと思います。

※本記事の後半はネタバレとなりますので、読み進める際はご注意ください。

映画『怪物』の概要

製作・キャスト・ロケ地・受賞歴について。

制作陣

映画・ドラマ好きにとっての夢のタッグが実現、相思相愛の豪華制作陣による映画作品です。

監督:是枝裕和

『誰も知らない』(04)、『そして父になる』(13)、『海街diary』(15)、『万引き家族』(18)など、数々の社会問題を描いた作品で、評価が高い名監督。

今回は、坂元氏からの誘いで引き受けたとのことです。

脚本:坂元裕二

「東京ラブストーリー」のヒットからトレンディドラマを数々手がけ、「それでも、生きてゆく」「Mother」「Woman」「anone」など、社会問題をテーマにしたドラマも手がける。

「最高の離婚」「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」など、日常を細かくリアルに表現していて、台詞回しが印象的。

昨今は、菅田将暉、有村架純主演の映画『花束みたいな恋をした』でも高い評価を受けている脚本家です。

音楽:坂本龍一

音楽は、坂本龍一がこの映画のために新たに2曲を手がけています。素晴らしいピアノ音楽が映画にさらなる深みを与えているような気がしました。

エンドロールでは哀悼の意が捧げられています。

キャスト

是枝監督・坂元脚本に相応しいキャストが揃い、また、子役の二人はこの映画の役に本当にぴったりだと思う方が選ばれたと思います。

麦野 早織安藤 サクラ湊の母、シングルマザー
保利 道敏永山 瑛太湊、依里の担任教師
麦野 湊黒川 想矢小学5年生の早織の息子
星川 依里柊木 陽太小学5年生の清高の息子
伏見 真木子田中 裕子校長先生
星川 清高中村 獅童依里の父、シングルファーザー
鈴村 広奈高畑 充希保利の恋人
正田 文昭角田 晃広教頭先生

ロケ地

長野県諏訪市。

当初は湖ではなく、川がある場所を舞台にしたかったようですが、火事のシーンを撮影できる場所・消防など街ぐるみで全面協力してくれる場所が諏訪地域だったそうです。

目の前に広がる諏訪湖の風景、ノスタルジックな街の風景など、映画『怪物』の世界観に相応しい場所だと思います。

受賞歴

本作は、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され脚本賞を受賞。
また、LGBTやクィアをテーマにした映画に与えられるクィア・パルム賞も受賞しました。

あらすじ

予告で示されている内容とざっくりとしたあらすじを紹介します。

予告

映画『怪物』予告映像【6月2日(金)全国公開】

湖のある静かな街で起きた些細な事件。

それは、よくある子どもたちの些細な喧嘩に見えた。

シングルマザーの麦野早織は、息子の不可解な言動から担任教師に疑念を抱き、小学校へ事情を聞きに行く。しかし担任教師は一切、認めず、謝罪も適当、学校は逃げているだけ。

息子の湊もどんどん壊れていく。学校と子どもたちとで食い違う主張。

学校側の態度に、早織は次第にいら立ちを募らせていく。

そして、嵐の朝に子どもたちが消えた。

怪物探しの果てに、あなたが目撃するものとは・・・

おおまかなストーリー

安藤サクラさん演じる母親 麦野早織、瑛太さん演じる担任の保利先生、そして子供たち(湊と依里)の3つの視点(いわゆる「羅生門」構造と呼ばれる手法)で物語が展開していきます。

火災が起きた日〜嵐の朝までの出来事をそれぞれの視点から見ると、それぞれの真実が見えてきます。

麦野 早織のパート

息子の湊が保利先生から体罰を受けていると思い、学校に行くが、学校側がそれを真摯に受け止めず、校長も保利先生も人間とは思えない態度に苛立ちが募る。

早織は弁護士を雇い、学校側に謝罪を求め、保利先生は体罰教師としてメディアにも取り上げられることとなる。

しかし、保利先生から湊は星川依里をいじめていると聞かされ、次第に息子に不安を感じはじめる。

そして、嵐の朝、息子が姿を消した。

保利 道敏のパート

4月、新任として小学校にやってきた保利。子どもたちと一緒に運動会の組体操の練習に励んだり、自分の子どもの頃の作文を紹介したりと、生き生きと働いていた。

しかし、湊がみんなの体操着袋を投げて暴れたのを抑えようとして、湊に怪我をさせてしまう。

また、星川がいじめられているのではないかと気になり、彼の家を訪ねた。星川の父が「あいつには豚の脳みそが入っているから俺が治す」と言うので驚き、保利は星川依里は普通だと父親に言った。

湊の怪我のことで、早織が学校に押しかけてきたが、学校の先生たちは何事も穏便にすませようと、保利に耳打ちし、言われる通りに対応した。

結果、学校を追われ、恋人も去り、部屋を片付けていたところ、湊と星川が将来について書いた作文を見つけ、隠されたメッセージに気がつく。(作文のタイトル「品種改良」、横読みの2人の名前)

そして、保利は湊に謝るため自宅へ行きますが、湊は姿を消していた。

早織と一緒に湊を探しに行ったが、その場所は土砂崩れが起こり電車が横倒しになっていた。

麦野 湊と星川 依里のパート

湊は星川依里に対するいじめを良く思っていなかった。

依里自身も父親や周りに普段から言われているせいか、自分は病気なのだと受け入れていた。

湊は周りにバレないように、依里を守るため、暴れていじめっ子の注意を逸らしたりしていた。

2人は徐々に距離を縮め、廃線跡の電車は、2人だけの秘密の隠れ基地になった。そして、ただの友だちとしてではなく、それ以上の気持ちがあることに湊は気がつくが、それは誰にも言えないことだった。

依里の父親は彼を祖母の家に預けることにして、転校させようとした。

湊は依里が父親に虐待されているのを発見し、2人で電車に逃げ込んだ。

嵐が去って、廃線電車から出てきた湊と依里は、森の中へ走り出した。

映画『怪物』の感想

映画全体の感想は「まとめ」で書きます。

ここでは映画を見た後に疑問に思った部分とそこから自分なりに考えてみたことを書いていきたいと思います。

保利先生はなぜ謝罪中に飴玉を舐めたのか?

早織目線では、謝罪中に飴玉を舐めるなんて、全く自分と向き合おうとしていない不誠実な人物で、こんな先生に湊は酷い目に遭っているんだ・・・と早織が怒るのも仕方がないと思われる態度に見えました。

しかし、保利は、彼女の広奈に「飴を舐めて落ち着きなよ」と言われ、飴を渡されていました。自分の思い通りにできず学校側の指示通り、謝罪をしなければならない状況におかれたので、気持ちを落ち着かせるために、あのような状況でも飴を舐めてしまったのでしょう。

保利先生はいい先生になりたかったようですが、生徒の行動の一部分だけから憶測で、湊が依里をいじめていると疑ったり、湊が猫を○したなどと決めつけるようになってしまいました。周りが彼を変えていったようにも、感じましたが、それでも謝罪中に飴を舐めるのはちょっとありえないかな(精神的ダメージを受け過ぎていたのか…)と思います。

保利先生は最後、作文に隠されたメッセージに気がつき、湊に自分が間違ってたと伝えに行くのですから、途中おかしくなったけど、いい先生になれるはずだった人ではあると思いました。

校長先生は孫をひいてしまったのか?なぜ孫との写真を早織に見えるように置いたのか。

夫ではなく校長先生自身が誤って孫をひいてしまったのだと思います。それは噂にもなっているし、校長は「私も嘘をついている」と湊に話しました。

駐車場で子どもを遊ばせていた親のせいで孫をひいてしまった校長としては、スーパーで子どもを走り回らせている母親への警告としてスーパーで走り回る子どもに足を引っ掛けて転ばせたのではないでしょうか。校長は校長なりにどうしたら子どもたちを親から守ることができるのかを考えているのかもしれません。

孫との写真を抗議に来た早織に見えるように置いたことも、母親から湊を守るつもりだったのかもしれません。

校長は、依里がビルに火をつけたかもしれないこと、湊と依里の関係にも概ね気づいていたことでしょう。

それにしても、この校長を演じる田中裕子さんの演技、本当に人間なのかどうか疑ってしまうような目や態度をしていたシーンは怖かったし、怪物に見えてしまいましたが、物語の後半では違う人のように見えました。

永山瑛太さんの演技もそうですが、本当に同じ人物なんだよね?っと疑うほどに、シーンによって見え方が変わりました。

麦野湊と星川依里は生きている?

私自身、鈍感なところがあり、最初は湊が単純に優しい子で、いじめが嫌で、依里を表立って助けることはできないけど、なんとかしてあげようとしているんだと思いました。

しかし、実際はもっと深い感情との葛藤が湊にはあって、それを自分で認めても、それを誰かに話すことができなかった。母親のいつか普通に結婚するまで息子を立派に育てたいという気持ちに応えられず苦しくなって、助手席から飛び出したくなるような、そんな気持ちに私は湊のターンまで、理解が及びませんでした。

大人にはすぐにわからなくても、子供同士ではわかっている事が多い。おそらく、湊の隣の席の女子生徒も全てわかっているのだと思います。それはとても繊細なことであり、そして大人に言えないこと(分かってもらえないこと)であると。なので彼女は事実だけを保利先生に伝えていたのかなっと思います。

星川依里はとても不思議な子で、鏡文字になってしまうことから、軽度の発達障害もあるのでしょうし、父親からの虐待を受けても抵抗せずにいました。すごく辛い状況だと思うけれど、湊と秘密基地で過ごす時間がとても楽しそうでした。

ラストは二人で電車から出てきましたが、そこはもう違う世界なのだと思います。おそらく湊と依里は土砂崩れに巻き込まれてしまった。生まれ変わったとかそういうわけでもなく、行きたかった場所に行けたのではないでしょうか。立ち入り禁止だった場所にも行けるようになり、生きにくい世界から解放され、晴れてキラキラと輝く道を駆け抜けていく・・・そんな感じがしました。

まとめ

「怪物だーれだ」

怪物とは、親(モンスターぺアレント)か、学校・教師か、子どもたちか・・・一体誰なのだろうと思いながら映画を観ました。

しかし、「怪物だーれだ」は、湊と依里が遊んでいたゲームのことでした。頭の上に動物などの絵が描かれたカードを当てて、相手には何者かが見えているけど、自分では自分のことが分からない、自分が何者か、相手に質問をしながら当てるというゲームです。

そう、このゲームと同じで、怪物探しをしている自分そのものがもしかすると怪物なのではないかと思い、私はゾッとしました。

物語の始まりは早織に感情移入し、保利や学校側が怪物に見えたし、早織も次第に怪物になっていくようにも見えました。そして湊にも怪物が潜んでいると思ったり、登場人物の切り取られた一面で判断して、怪物を探そうとしていました。

この人にとってあの人は怪物のようにみえて、あの人にとってはまた別のあの人が怪物のようにみえたかもしれない。誰も怪物ではなかったとしても、怪物にさせられることがあるのだと思います。

この映画は、観た人それぞれの受け止め方でよいということのようなので、私は私自身がいつでも怪物になり得ると心に銘じて、他者のことも私が知っているのはその人の一面に過ぎないということを忘れないようにしようと思います。

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